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読んで火に入る本の虫

ブックレビューです。良書のみおすすめします。ネタバレなし。

女の一生 サチ子の場合  遠藤周作

小説

この作品は第一部と、沈黙 (新潮文庫)を合わせて三部作と言えるだろう。

女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫)

「沈黙」では文章が極力省かれ、いささか物足りない感じがした。例えば「キクジロー」がどういう人物だか今一つ分からない。マーティン・スコセッシの映画は小説の「物足りなさ」を十分補っていたと思う。

この女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫)では長崎とアウシュビッツが舞台だ。遠藤はいつも信仰を持つ者を極限状態に置き、神を信じるのか否かという問答を突き付ける。この点、頭の良すぎる人というのは不幸だと思う。素朴な人なら必要のない悩みだ。

遠藤は、信じた者が悲惨な最後を遂げる場面を描写するが、これを読んでキリスト教徒になろうとする人はまずあるまい。「沈黙」が出版された当時、日本のキリスト教関係者たちから非難を受けたというのは恐らくこの点であろう。信仰を持つことによって得られる利益が何も描かれないからである。

遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本)

女の一生」では一途な日本女性が主人公だが、こういうタイプの女性は今ではあまり見かけなくなった。この小説が発表されたのは1982年だが、「今日では恋愛は軽いものとなった。」とすでに書かれている。この一途な純粋さが日本女性の美徳であったのだが。

現代の日本人が「恋愛」と呼んでいるのは「性愛」であり、「遊び」である。「恋愛」をテーマにした歌が盛んに作られ、それを若者は繰り返し聴く。「恋愛」は美化され、正当化される。

私はアウシュビッツで人の身代わりとなり、処刑された神父がいることは聞いていたが、その人がコルベというポーランド人で長崎で布教をしていたことはこれを読んで初めて知った。遠藤は淡々とした描写でコルベ神父を描くが(ここにも「キチジロー」的人物が出てくる)それが却ってその偉大さを浮かび上がらせている。涙なしには読めない。

遠藤は小説の中で、戦争中、何ら軍部に反対しなかった教会を厳しく批判している。ここでも「踏み絵」的状況が描かれている。教会関係者はやはり踏み絵を踏んでしまったのである。

 

女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫)

女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫)